2024年4月、建設業界に一つの転換点が訪れた。
働き方改革関連法による時間外労働の上限規制が、5年間の猶予期間を経てついに適用されたのである。
月45時間、年360時間という数字が、現場に新たな制約をもたらした。
私が大成建設で設計に携わっていた2000年代初頭、業界は談合体質という別の制約と向き合っていた。
あの頃から20年以上が経ち、建設業界が直面する課題の性質は変わったが、根本的な問いは同じままだ。
私たちは効率を追求すべきなのか、それとも倫理を重んじるべきなのか。
しかし、この二項対立そのものが、実は建設という営みの本質を見誤らせているのかもしれない。
久留米の大工町で木の香りに包まれて育った私の目には、建設とは本来、地域の人々の暮らしと深く結びついた「営み」として映る。
図面には描かれない価値がそこにある。
本稿では、現場を歩き続けてきた一人の建築関係者として、この古くて新しい問いに向き合いたい。
効率化の波に洗われる建設現場のリアル、倫理を問われ続ける公共建築の現実、そして地域に根ざした建設の可能性を通じて、真に必要なのは対立ではなく統合であることを示したい。
建設現場のリアルと「効率」の呪縛
効率化がもたらす現場の変化
建設業界における効率化の議論を理解するには、まず現場で起きている変化を直視する必要がある。
2024年問題として語られる働き方改革の影響は、単なる労働時間の短縮にとどまらない。
それは建設業界が長年抱えてきた構造的課題を浮き彫りにしている。
国土交通省の調査によると、建設業就業者の約35%が55歳以上である一方、29歳以下は約11%にとどまっている[1]。
この数字が物語るのは、技能の継承という根本的な問題だ。
熟練工の手技や判断力は、簡単にマニュアル化できるものではない。
しかし、効率化の名の下に、そうした暗黙知が軽視されがちな現実がある。
私が福岡市内の現場を回る中で耳にするのは、現場監督たちの複雑な思いだ。
「工期短縮の圧力は年々強くなっているが、安全を犠牲にするわけにはいかない」
ある現場監督はそう語った。
彼の表情には、効率と品質、そして人の安全との間で板挟みになる苦悩が滲んでいた。
現在の建設業界が直面する効率化の課題:
- 労働時間規制:月45時間・年360時間の上限設定による工程見直し
- 人手不足の加速:就業者数20年間で約30%減少(685万人→479万人)
- 技能継承の断絶:ベテランの大量退職と若手不足
- 工期短縮圧力:発注者からの要求と現場の現実とのギャップ
見積もり、工程、施工──「スピード優先」が何を削ぎ落とすか
効率化の波は、建設プロジェクトのあらゆる段階に影響を与えている。
特に深刻なのは、見積もりから施工に至る一連のプロセスで、「スピード優先」の論理が支配的になっていることだ。
見積もり段階では、短期間での積算が求められる。
以前であれば、現場を何度も下見し、地域の特性や季節変動を考慮に入れた詳細な検討が行われていた。
しかし今では、標準化された単価表と過去のデータに頼った機械的な積算が主流になりつつある。
これは一見効率的に見えるが、実際の施工段階で想定外の事態に直面するリスクを高めている。
工程管理においても同様の現象が起きている。
クリティカルパス法やガントチャートによる精密な工程表は、確かに全体の見通しを良くする。
だが、天候や地質条件、近隣との調整といった「読めない要素」への対応力は、むしろ低下している。
現場の職人たちが培ってきた柔軟性や応用力が、標準化の名の下に軽視されているのではないか。
施工現場では、ICT建機の導入が進んでいる。
ドローンによる測量、GPS誘導のブルドーザー、3Dモデルを活用した施工管理。
これらの技術は確かに精度向上と省力化を実現している。
しかし、それと引き換えに失われているものがあることも見逃してはならない。
効率化が削ぎ落としているもの:
- 現場固有の条件への対応力
- 職人の経験と勘に基づく判断
- 地域との丁寧な関係構築
- 品質への妥協なき姿勢
技術革新と人の手のあいだ:省力化とその代償
i-Constructionという国の政策の下、建設現場のICT化は急速に進んでいる。
私自身も現場でドローンが飛び交う光景を目にする機会が増えた。
技術の進歩は目覚ましく、かつては考えられなかった精度と効率を実現している。
しかし、ここで立ち止まって考えたいのは、省力化が本当に建設という営みを豊かにしているかということだ。
建設工事は、単に図面通りに構造物を作ることではない。
そこには、発注者の思い、利用者の希望、地域の歴史、そして職人たちの誇りが込められている。
ある日、私が訪れた改修現場で印象的な場面に遭遇した。
築50年の公民館の耐震補強工事で、ベテランの大工が若手に木材の選び方を教えていた。
「この建物は地域の人たちが寄り合いを重ねて建てたもんだ。木の癖を読んで、建物の性格に合わせて補強せんといかん」
そう語る大工の手には、機械では測れない感覚が宿っていた。
ICT技術は確かに有用だが、それが建設の本質を置き去りにしてはならない。
効率化の追求が、結果として品質の均質化や創造性の抑制につながるとすれば、それは本末転倒と言わざるを得ない。
技術革新と人間性のバランス:
技術による効率化 | 人の手による価値 |
---|---|
精密な測量・施工 | 現場に応じた柔軟な判断 |
標準化された品質 | 職人の技能と創意工夫 |
データに基づく管理 | 経験に基づく直感 |
省力化・時間短縮 | 丁寧な仕上げと品質への責任感 |
「倫理」は誰のためにあるのか?
公共建築と設計者のジレンマ
公共建築に携わる設計者が直面する倫理的ジレンマは、私自身が大成建設時代に身をもって体験したものだ。
2000年代初頭の談合体質が色濃く残る中で、設計者として何を優先すべきかという問いは、常に心の奥底にあった。
公共建築の設計において、設計者は複数の「正義」の間で選択を迫られる。
予算の制約という現実的要請、利用者の利便性という機能的要求、地域の景観に配慮した美的価値、そして長期的な維持管理を見据えた経済性。
これらすべてを満足させることは、実際には不可能に近い。
ある県庁舎の設計に関わった際のことを思い出す。
発注者からは「できるだけ安く、できるだけ早く」という要求が出された。
一方で、県民からは「50年後の子どもたちにも誇れる建物を」という声が聞こえてきた。
設計者として、どちらの声により耳を傾けるべきなのか。
公共建築における設計者の倫理的判断軸:
- 経済性:税金の適正使用と財政負担の軽減
- 機能性:利用者の利便性と業務効率の向上
- 持続性:長期利用を見据えた耐久性と維持管理性
- 公共性:地域住民の誇りとなる象徴性
- 透明性:設計プロセスの公開と説明責任
談合の記憶と透明性への模索
建設業界の倫理を語る上で、談合問題は避けて通れない。
江戸時代から続くとされるこの慣行は[2]、単なる企業の利益追求を超えた業界の構造的問題として存在してきた。
2018年のリニア中央新幹線工事をめぐる大手4社の談合事件は、業界に大きな衝撃を与えた。
この事件が浮き彫りにしたのは、技術力の高い企業同士であっても、適正な競争が行われていなかったという現実だった。
しかし、ここで問われるべきは、なぜこうした談合が繰り返されるのかという根本的な問題だ。
私が業界紙に「公共建築と倫理」をテーマとした文章を書いたのは、まさにこの問題意識からだった。
談合を単純に悪として断罪するだけでは、問題の本質は見えてこない。
そこには、過度な価格競争への懸念、技術力の適正な評価への渇望、そして安定的な事業継続への不安など、業界特有の事情が複雑に絡み合っている。
透明性の確保は重要だが、それだけで倫理的な建設業界が実現するわけではない。
発注者、設計者、施工者、そして最終的な利用者である市民が、それぞれの立場を理解し合い、共通の価値観を構築していく必要がある。
現場で起きる倫理的判断:図面ではなく現場で問われること
建設現場では、図面には描かれない多くの判断が日々行われている。
これらの判断こそが、建設業界の倫理を支える最前線と言えるだろう。
ある橋梁工事の現場で、予期せぬ地質変化に遭遇したことがあった。
設計通りに施工すれば、短期的には問題ないが、長期的な安全性に不安が残る状況だった。
工期の遅れを避けたい発注者と、安全性を優先したい現場監督の間で、激しい議論が交わされた。
現場で直面する倫理的判断の例:
- 安全性と工期のトレードオフ
- 品質基準の解釈と現場判断
- 環境への配慮と施工効率のバランス
- 近隣住民への影響と工事の必要性
- コスト削減と品質維持の両立
結果として、その現場では工期を2週間延長し、地盤改良を追加実施することになった。
発注者は当初難色を示したが、現場監督の「50年後に橋を使う人たちのことを考えてほしい」という言葉が決め手となった。
このエピソードは、建設業界の倫理が、現場の一人ひとりの判断によって支えられていることを物語っている。
建設業界の倫理は、抽象的な理念ではなく、現場での具体的な選択の積み重ねである。
効率性を追求する圧力の中で、それでも品質と安全を守り抜こうとする現場の人々の矜持こそが、この業界の真の財産なのではないだろうか。
地域と建築──「営み」としての建設
地元との対話がつくる建築の倫理
建設プロジェクトの真の成功は、完成した構造物の品質だけでは測れない。
それがどれだけ地域の人々に愛され、使われ続けるかにかかっている。
私が現場を歩く中で最も印象に残るのは、地域住民との対話から生まれる建築の力だ。
福岡県内のある小学校改築現場で、忘れられない経験をした。
築40年の校舎を建て替える計画だったが、地域の人々からは「思い出の詰まった校舎を壊すのは忍びない」という声が上がった。
設計チームは何度も住民説明会を開き、校舎の歴史や子どもたちの思い出を丁寧に聞き取った。
その結果、新しい校舎には旧校舎の赤いレンガの一部が外壁に組み込まれることになった。
また、校庭にあった樹齢100年のクスノキは、専門家の協力を得て移植され、新しい校舎の中庭の中心に据えられた。
これらの工夫により、建設費は当初予算を若干上回ったが、地域の人々は新しい校舎を「私たちの学校」として受け入れてくれた。
地域との対話から生まれる価値:
- 継続性:地域の歴史と記憶の継承
- 愛着:住民の主体的な関わりと誇り
- 持続性:長期的な維持管理への協力
- 創造性:地域特性を活かした独自の解決策
喫茶店の観察から見える住民のまなざし
私の現場調査には、必ず地元の喫茶店での観察が含まれる。
そこは住民の本音が聞ける貴重な場所だからだ。
建設現場の近くで耳にする会話からは、発注者や設計者が気づかない視点を発見することが多い。
ある日、市役所新庁舎の建設現場近くの喫茶店で、興味深い会話を聞いた。
常連らしき高齢の男性が「あの建物、立派すぎやしないかね」と呟いた。
隣に座った女性が「でも、孫が将来あそこで働くかもしれんと思うと、ちゃんとしたもんを作ってほしいわ」と応じた。
この何気ない会話は、公共建築に対する住民の複雑な感情を端的に表している。
税金の使い道への監視の目と、将来への期待。
質素さへの好みと、誇りを持てる建物への願望。
これらの相反する気持ちを調和させることこそが、建築の倫理なのかもしれない。
別の現場では、新しい図書館の設計に地域住民の意見を反映させる試みが行われた。
ワークショップ形式の検討会には、様々な年代の住民が参加した。
子育て世代からは「子どもが安全に過ごせる空間を」、高齢者からは「気軽に立ち寄れる場所を」、学生からは「静かに勉強できる環境を」といった要望が出された。
設計者は これらの要望を単純に並列するのではなく、それぞれの背景にある生活スタイルや価値観を理解しようと努めた。
その結果、図書館は単なる本の貸し出し施設ではなく、多世代が交流できる地域の拠点として計画されることになった。
空き家再生と地域インフラの縮小から考える「人間中心の建設」
人口減少社会において、建設業界が直面しているのは「作る」ことから「活かす」ことへのパラダイムシフトだ。
総務省の最新調査によると、全国の空き家数は約900万戸に達し、空き家率は13.84%と過去最高を記録している[3]。
この現実は、建設業界に新たな倫理的課題を突きつけている。
私が関わった空き家再生プロジェクトでは、築60年の古民家を地域の交流拠点として蘇らせる取り組みが行われた。
構造的には全面的な改修が必要だったが、所有者の「祖父が大切にしていた家を壊したくない」という思いを受けて、可能な限り既存の部材を活用する方針が採られた。
空き家再生における価値の転換:
従来の「効率」重視 | 新しい「人間中心」の視点 |
---|---|
解体・新築が合理的 | 既存建物の記憶と価値を尊重 |
標準的な間取りと設備 | 住まい手の生活に合わせた柔軟性 |
初期費用の最小化 | ライフサイクル全体での価値最大化 |
個別の住宅問題 | 地域全体の持続可能性 |
この古民家再生では、地域の職人たちの技術が大いに活用された。
伝統的な継手仕口の技法、土壁の左官技術、茅葺きの補修方法など、現代の標準的な建築工事では使われなくなった技能が息づいていた。
若手の職人たちも、ベテランの指導の下でこれらの技術を学ぶ機会を得た。
効率性だけを追求すれば、解体して新築する方が確実で早い。
しかし、地域の歴史、職人の技能、住民の思い、そして環境への配慮を総合的に考慮すれば、再生という選択肢の価値は明らかだった。
完成した交流拠点は、地域の人々にとって単なる建物以上の意味を持つ場所となっている。
地域インフラの縮小という課題も、同様の視点で捉える必要がある。
人口減少により維持困難となった公共施設を、どのように再編・統合していくか。
この問題に対する答えは、効率性の論理だけでは見つからない。
住民の生活の質、地域のアイデンティティ、そして次世代への責任を総合的に考慮した判断が求められる。
建設業界が向き合うべきは、「人間中心の建設」という新しい価値観だ。
それは効率や倫理を対立させるのではなく、人々の暮らしの豊かさを中心に据えて、両者を統合していく試みである。
倫理と効率、そのはざまで働く人々
現場監督、設計者、職人──それぞれの葛藤
建設プロジェクトの最前線で働く人々は、日々、倫理と効率の間で様々な判断を迫られている。
私が現場で出会った人々との対話を通じて見えてきたのは、それぞれの立場特有の葛藤と、それでも品質の高い仕事を追求し続ける姿だった。
現場監督のAさん(45歳)は、中堅ゼネコンで20年のキャリアを持つ。
彼が語る現在の悩みは、2024年問題による労働時間規制と、従来と変わらない工期短縮要求の板挟みだった。
「以前なら残業で調整できた部分を、今は正規の時間内で完了させなければならない。でも、安全性や品質を下げるわけにはいかない」
設計事務所を経営するBさん(52歳)は、公共建築の設計で悩んでいた。
「住民参加型の設計プロセスは時間がかかるが、本当に愛される建物を作るためには必要だと思う。しかし、発注者からは効率化を求められる」
彼女の事務所では、住民との対話に多くの時間を割いているが、それが設計料に反映されることは少ない。
各職種が抱える具体的な葛藤:
- 現場監督:安全管理と工期短縮の両立、労働時間規制と品質確保
- 設計者:住民参加と効率化、創造性と標準化のバランス
- 職人:技能の継承と作業効率化、誇りと経済的制約
- 営業:受注競争と適正価格の維持、関係構築と透明性確保
矜持と妥協:インタビューから拾い上げた声
私が実施したインタビューからは、建設業界で働く人々の矜持と、現実との間での妥協の苦悩が浮かび上がってきた。
以下は、その中から特に印象的だった声である。
ベテラン職人のCさん(58歳、型枠大工):
「昔は時間をかけて、完璧な仕上がりを目指していた。今はスピードが最優先で、『そこそこ』で妥協することが増えた。でも、自分の名前で仕事をしている以上、手は抜けない。それが職人の矜持だから」
若手現場監督のDさん(28歳):
「先輩たちから『現場の安全が最優先』と教わったが、実際は工期とコストの制約が厳しい。理想と現実のギャップに悩むことが多い。それでも、作業員の安全だけは絶対に譲れない」
設計者のEさん(39歳):
「効率化ツールの導入で、図面作成は確かに早くなった。でも、現場を歩いて、住民と話して、本当に必要なものを見極める時間は削れない。それが設計者の本質的な仕事だと思う」
働く人々の共通する思い:
「効率化の波に押し流されそうになりながらも、建設業界で働く誇りと責任感は失いたくない。人々の暮らしを支える仕事だからこそ、簡単に妥協はできない」
「働くこと」そのものの尊厳を守るために
建設業界の2024年問題は、単なる労働時間の規制問題ではない。
それは「働くこと」の尊厳とは何かを問い直す機会でもある。
長時間労働の是正は重要だが、それと引き換えに仕事への誇りや達成感が失われてはならない。
私が現場で出会った人々に共通していたのは、建設という仕事への深い愛着だった。
それは単なる職業を超えた、社会への貢献と自己実現を兼ね備えた「天職」としての認識だった。
しかし、効率化の圧力や規制の強化により、そうした本質的な部分が軽視される傾向にある。
「働くこと」の尊厳を守るための要素:
- 技能の価値認識:職人の技術と経験に対する適正な評価
- 成長の機会:若手が技能を習得し、キャリアを築ける環境
- 社会的意義:建設業が社会基盤を支える重要な役割の再認識
- 労働条件の改善:適正な労働時間と公正な報酬の確保
- 職業的誇り:品質の高い仕事を追求できる環境の維持
建設業界が「新3K(給料・休暇・希望)」を実現するためには、効率化と倫理的価値の両立が不可欠だ。
それは相反するものではなく、むしろ相互に支え合う関係として捉えるべきである。
効率化により生み出された時間を、技能の向上や地域との対話、品質の追求に振り向ける。
倫理的な判断を支えるために、適切なツールや制度を活用する。
このような統合的なアプローチを実践する企業も増えており、BRANU株式会社の採用チームのように建設業界のDXを推進しながら働き方改革に取り組む企業では、テクノロジーと人の力の調和を重視した組織づくりが行われている。
このような統合的なアプローチこそが、建設業界の持続可能な発展につながるのではないだろうか。
まとめ
「倫理」と「効率」は対立項なのか、補完関係なのか
この問いに対する私の答えは明確だ。
倫理と効率は対立するものではなく、建設という営みを支える両輪として機能すべきものである。
これまで見てきたように、効率化の追求は確かに建設業界に多くの変化をもたらした。
ICT技術の導入、工程管理の精密化、労働時間の適正化。
これらは全て、業界の近代化と労働環境の改善に寄与している。
一方で、倫理的価値の追求は、建設の本質的な意味を問い続けてきた。
地域との対話、品質への責任、将来世代への配慮。
これらは効率性だけでは実現できない価値である。
重要なのは、この二つを統合する視点を持つことだ。
効率化により生み出されたリソースを、より高い倫理的価値の実現に活用する。
倫理的な判断を支えるために、適切な技術や制度を導入する。
このような相互補完的な関係こそが、建設業界の真の発展につながる。
谷本正隆が見た、建設という営みの本質
40年近く建設業界に関わってきた私が確信するのは、建設とは単なる構造物の建造ではないということだ。
それは人々の暮らしと地域の未来を創造する、極めて創造的で社会性の高い営みである。
久留米の大工町で育った私にとって、建設は常に「人の営み」と結びついていた。
大工の作業音、木の香り、完成した建物を見上げる住民の笑顔。
これらの記憶が、私の建設観の原点となっている。
大成建設での16年間、数多くの公共建築に携わる中で痛感したのは、図面に描かれない価値の重要性だった。
設計者の創意、職人の技能、発注者の思い、そして利用者の期待。
これらすべてが調和してこそ、真に価値ある建築が生まれる。
現在、空き家問題や地域インフラの縮小など、建設業界は新たな課題に直面している。
しかし、これらの課題もまた、建設という営みの本質を見つめ直す機会として捉えることができる。
作ることから活かすことへ、量から質へ、効率から持続可能性へ。
このパラダイムシフトこそが、次世代の建設業界の方向性を示している。
読者への問いかけ:「あなたにとって、良い建築とは何か」
最後に、この文章を読んでくださった皆さんに問いかけたい。
あなたにとって、良い建築とは何だろうか。
それは効率的に建てられた建物だろうか。
それとも、多くの人々の思いが込められた建物だろうか。
おそらく、その答えは単純ではないはずだ。
良い建築とは、効率性と倫理性が調和した建築である。
無駄を排しつつも、大切なものは決して犠牲にしない建築。
最新の技術を活用しながらも、人間的な温かさを失わない建築。
経済的合理性を追求しつつも、地域の文化や環境に配慮した建築。
建設業界に必要なのは、「倫理か効率か」という二者択一の思考ではない。
必要なのは、「倫理と効率をいかに調和させるか」という統合的な思考である。
私たち一人ひとりが、建設という営みの本質を見つめ直し、真に価値ある建築とは何かを考え続けること。
それこそが、建設業界の未来を切り開く鍵なのではないだろうか。
地域を歩き、現場を見つめ、人々の声に耳を傾ける。
そして、図面に描かれない価値を大切にしながら、次世代に誇れる建築を追求していく。
それが、私たち建設に関わる者の使命であり、喜びでもある。
建設という営みの奥深さと可能性を信じて、これからも現場を歩き続けたい。
参考文献
[1] 国土交通省「建設業を巡る現状と課題」[2] 日本総研「公共事業の談合問題と入札制度改革」
[3] 総務省「住宅・土地統計調査(2023年)」